「知的な活動」の研究は紀元前の古代ギリシアにおけるプラトンの「メノン篇」という書物に登場している。すなわち思考や記憶の重要性の認識と、その研究とは認知科学が始まるはるか昔から行われてきた。こうした背景をみる限り認知科学の誕生はごく最近のものであるが、その発展は目覚ましいものがあると言える。また、広い意味での人類の「知」の関心の現代版が「認知科学」とも言えよう。
第二次世界大戦を通じ、英米をはじめとした参戦国では工学的な技術革新が進み、ついには電子計算機の原型が生まれた。この電子計算機誕生を契機として、大戦終了後の1950年頃から異分野の研究者たちが積極的に交流を始め、人間の知的活動についての科学的な研究を統合していこうとする運動が徐々におこる。特に当時の実験心理学 、神経科学 、哲学 、人類学 、情報科学、言語学 の分野の若き研究者たちが参加し、1956年9月に米国のダートマスで行われたシンポジウム(ダートマス会議)において認知革命[1]として結実を見せた。会期中、ジョージ・ミラー、ノーム・チョムスキー、ウォーレン・マカロックとハーバート・サイモンらにより認知科学の方向を決定付ける研究が立て続けに発表され、これらの発表はいずれも人間の知性を計算機に見立てることの有効性を説得力をもって伝えるとともに、当時の情報科学らを研究する者にとって非常に衝撃的な内容のものであったとされている(ガードナー、1987)。
こうして認知科学は誕生した。その当初の内容は、若き人工知能研究と情報処理心理学と呼ばれる心理学の一分野を中心とするものであり、特に両者は相互補完的であった。すなわち、まず計算機に見立てた人間の知能モデル作りが行われ、心理学者は実験のデータ採取を通じて、人工知能研究者はプログラムを走らせることを通じて、モデルを検証、そして両者が双方のデータを共有したりフィードバックしていた。特に当時のこうした計算機への見立てを重視するアプローチは70年代中頃に、デイヴィッド・マーらの計算神経学的な業績により計算主義[2]として確立する。
しかしながら、1980年代頃から大脳生理学における研究テクノロジーの発展がみられ、それまでの計算機主義をはじめとした研究データを脳の神経活動と照らし合わせようとする動きが急速に進むこととなる。この結果、医学と神経科学に携わる科学者が多く参画することとなった。さらには、80年代後半には「第二の認知革命」とも言えるコネクショニズム[3]という立場が登場する。[4]。一言で言えば、認知科学の知の探求は体(神経)の研究を視野に入れることに成功したのである。また、同時期に登場した作動記憶[5]も画期的であった。ワーキングメモリーとは人間の思考中の、一時的な記憶や知識の運用とその過程を表現した言葉である(Baddeley, 2003)。この概念が重要であるのは、一旦は細分化・専門家された意識、注意、記憶、知覚、言語、思考といった諸テーマを再び有機的に繋げることに成功したためである。
さらに近年、大きな変化が起こりつつある。人間の知性を取り巻く2つの環境の重要性が見直され始めたからである。一つはすなわち身の回りという意味での通常の環境であり(状況主義)、もう一つは、私たちの身体である(身体化)。つまり、私たちの知性というものは体内と体外の2種類の環境に大きな制約を受けていると考えられるようになった。この背景には、進化・比較研究[6]、発達研究、文化研究が蓄積され、徐々に知性への貢献や影響の大きさが理解されてきたこと、またジェームズ・ギブソンが起こした生態心理学の見直しなどが要因に挙げられる。また表情研究の発展から、情動[7]への注目も高まってきている。第二世代での作動記憶がそうであったように、身体化もまた、一旦は分断された所々の分野を再統合するメタテーマ的な役割を持つ概念と言えるだろう。いずれにせよ認知科学は誕生以来、計算機から脳、そして肉体と環境へと主要テーマを移し、現実を生きる我々の行動を説明するための、よりバーチャルな科学モデルを練り上げるために、成熟を見せ始めている。
註釈[]
引用・参照文献[]
- Gardner, H. (1985)The Mind's New Science: A History of the Cognitive Revolution, New York: Basic Books Inc.(佐伯胖, 海保博之監訳 1987 認知革命 知の科学の誕生と展開, 産業図書, ISBN:4782800371)