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ヴィルヘルム・マクス・ヴント(英 Wilhelm Max Wundt)、(1832-1920)。


人物[]

ヴントは、ドイツ出身の生理学者、心理学者である。19世紀を代表する生理学者ヘルムホルツに師事し、神経生理学的な研究を経て科学的な心理学への関心を寄せるようになる。ヴントの心理学史上の貢献は、高橋(1999)によれば大きく2つある。それは「ライプチヒ大学の哲学部に実験心理学のための世界最初の心理学研究質を開設したことと、民族心理学を精神発達の視点から体系化しなおしたこと」である。アカデミックの場に心理学という学問体験を設けたことで、言わば「心理学の父」とでもいえる様な人物であろう。


テーマ[]

生い立ち[]

ヴントは1832年に、ドイツのバーデン州マンハイム近郊のネッカラウ村にルーテル派の牧師の子どもとして生まれた。8歳のときには親元を離れ、別の牧師の下で生活をするようになったが、子どもらしい無邪気なエピソードはなく、ただひたすら勉強に過ごしていたことが知れている。(ミラー、1967)によれば、「疲れをしらない勤勉家」であったとのことだ。


やがて決して裕福ではない家庭で育つヴントは、研究生活と経済的な裕福さを兼ね備える職として医者への道を志し、ハイデルベルグ大学へ入学し医学を修めることとなる。しかし、やがて医者よりも、研究職の法が「研究してお金を稼ぐことが出来る」という目的に適っていると思い直すようになり、本格的に大学の場に身を置くことを考えるようになる。博士号を取得した翌年の1857年には、同大学で生理学の講師を務めるようになった。


こうしていわば「鞍替え」をしたヴントに思わぬ幸運が舞い込んだ。後に19世紀を代表する科学者の一人である、ヘルムホルツがハイデルベルグ大学の教授として移籍して来ることとなったのである。そこで、早速申し出をし、幸いヘルムホルツが教授に就任をした1958年から、ヴントは5年間、ヘルムホルツの助手となることが出来た。しかし、それは彼にとってそれほど素晴らしい日々ではなかったようだ。というのは、地味な筋肉上の感覚のデータ採取の研究生活に加え、売れっ子学者ヘルムホルツを目当てに増える一方の新入生への指導の毎日であったからだ。この頃ヴントはすでに哲学への関心を強くしており、自身のこうした状況に嫌気が差したところで、ヘルムホルツの下を去ることとなった。


1875年、ブントはライプチヒ大学の哲学教授に就任する。1918年まで在籍する。いかにもドイツの知識人らしい穏やかであるが自身の考えには頑なで、テストやレポートの採点には厳しく、自身も勤勉な教授であったと言う。彼の残したノートと著作は5万ページにも及ぶとされており、彼の学問への真摯さ(もはやクレイジーの領域だと思うが・・・)が間接的に読み取れよう。

当時の時代背景・科学思想背景[]

19世紀後半当時、ブントが活躍する頃のヨーロッパのアカデミズムは、一言で言えば実証主義的な気風の中で、特に要素主義(elementalism)を育くんでいたと言える。実証主義というのは平たく言えば、論理(ロジック)と客観性(データ)を重んじる立場である。また要素主義というのは、金属であればその要素である原子の研究、生物であれば細胞というように、そのものを構成する要素に着目して研究する立場である。つまり、当時の科学思想というのは、筋肉の収縮運動であれば、筋肉繊維に流れる電流の測定というように、要素をより物理的なレベルに置き換え観測・考察をしていく立場が主流であったということだ。中でも19世紀科学の最先端が生理学である。ブントはこうした要素主義の土壌で育った生理学を学んでいた。つまり、ヴントはこうした生理学のやり方を心理学に応用し、実験心理学を打ち立てたのである。


実験心理学研究室の創設[]

ヴントは1879年に、公式に(つまりライプチヒ大学に認可され)、同大学の哲学部に実験心理学を設けた。ここで興味深いのは「実験」という冠がついた学問であるにもかかわらず、なぜ哲学部(文学部、教養学部ぐらいの意味)に設けられたのか、ということであろう。


基本的に当時、心理学という学問が、哲学と切っても切り離せなかったということが大きな理由であろう。ブレンターノJ・S・ミルといった学者も心理学という言葉を用いているが、当時の心理学という言葉は、「人間の心に関する洞察的な哲学」というような意味合いが中心であった(だからこそ、実験をする心理学の場合は、通常の心理学と分けて「〈実験〉心理学」とわざわざ「実験」という単語をつけ加えなければならなかったのである)。こうした背景があり、ヴントは哲学部に研究室を設けることとなったのである。


要素構成主義[]

先述したように、ヴントは当時の生理学の研究法を心理学に応用する形で、自らの実験心理学を立ち上げた。ではどのような実験をしたのであろうか。彼の有名な実験研究法に内観法というものがある。


ヴュルツブルグ学派[]

ヴントの諸理論[]

民族心理学の構想[]

ヴント批判[]

業績[]

  • 感覚知覚理論の研究 1862年
  • 生理学的心理学概要 1874年
  • 実験心理学研究室を独ライプチヒ大学に開設 1979年
  • 論理学入門 1880-83年
  • 倫理学 1886年
  • 民族心理学 1900-20年
  • 哲学入門 1901年


引用・参考文献情報(アルファベット順)[]

  • 川村智(1999)、ヘルムホルツ、有斐閣、心理学事典;pp785
  • George, A, Miller(1962)、Psychology、Harper & Row, New York:戸田壹子、新田倫義訳(1967)、心理学の認識、白揚社
  • 須藤新吉(1916)、ブントの心理學、内田老鶴團
  • 高橋澪子(1999)、ヴント、有斐閣、心理学事典;pp57-58
  • 高橋澪子(1999)、要素主義、有斐閣、心理学事典;pp865
  • Dr. C. George Boeree、Wilhelm Wundt and William James :http://webspace.ship.edu/cgboer/wundtjames.html
  • Human Intelligence「Wilhelm, Wundt」:http://www.indiana.edu/~intell/wundt.shtml
  • Wikipedia(英語版)「Wilhelm, Wundt」:http://en.wikipedia.org/wiki/Wundt]


関連サイト[]